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最高裁判所第三小法廷 昭和32年(オ)463号 判決 1960年2月02日

上告人 大田善次

被上告人 大田トモヱ

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人松井康浩の上告理由第一点について。

所論は、憲法三二条違反を主張するが、その実は原判決の訴訟手続違背を主張するに帰し、違憲の主張に当らない。また原審が、上告人本人尋問の手続をとつていないことは所論のとおりであるが、所論の人事訴訟手続法一〇条、一二条は婚姻事件については必ず職権で当事者本人尋問をなすべきことを規定したものではなく、婚姻事件においても裁判所がいかなる限度まで証拠調をするかは、裁判所がすでに得た心証の程度により、自由にこれを定めることができるものと解すべきであるから、原判決には所論の違法はない。(昭和二五年(オ)第三二三号、同二九年一月二一日第一小法廷判決、集八巻一号八七頁参照)。

同第二点について。

落盤事故により歩行能力を失つた上告人について原判決が挙示の証拠によつて所論事実を認定しているからといつて、これがために、た だちに、右認定に経験則違反があるとはいいえない。所論は理由がない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋潔 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己 裁判官 石坂修一)

上告代理人松井康浩の上告理由

第一点 原審判決は憲法第三二条に違反し、又人事訴訟手続法第一〇条、第一二条の精神に違反して破棄を免れない。

一、原審も第一審も原・被告を離婚させる本訴において、被告本人(控訴人)訊問をしていないというのは、全く不可思議であるといわねばならない。

(1) 人事訴訟手続法第一〇条が、民事訴訟法に規定する弁論主義を制限して、職権主義を採用している所以のものは人事に関する重要問題については、当事者の訴訟の巧拙によつて訴訟の結果を左右されることなく、事態の真相を究明しようとするからに外ならない。

被告(控訴人、上告人)が落盤事故によつて、歩行が極めて困難になつたことについては、当事者間に争がないが、原告(被控訴人、被上告人)本人訊問の結果によれば、被告は歩行が不能であることが判明する。

このように行動不能の本件被告については、人事訴訟手続法の精神は、一層尊重されなければならない。

(2) 更に上告人は生活の能力を喪失しているのである。家計のすべては被上告人に依存し、別居後は年金によつて辛じて生きているのである。その心痛は洵に想像に余りあるものがある。このような状態にある上告人の訴訟活動については、尚更人事訴訟手続法の精神は尊重されねばならない。

(3) 本訴請求原因の極めて重要なものは、房事過度ということである。

原告(被控訴人、被上告人)はこの為めに別居を余儀なくされたところ、被告(上告人)は嫉妬心を起し、松岡住太郎と通じているといつて被上告人を悔辱したというのである。

上告人は被上告人が自己の不行蹟を陰蔽しようとして本訴を提起したと主張するのである。

その何れの主張が真実に合致するかを見極めるのが、本訴の核心であることはいうまでもない。

しかるに上告人を一度も取調べることなくして、その真相がわかるというのであろうか。

夫婦間の房事の真相は、当事者双方の訊問乃至対質をぬきにして判断できるのであろうか。

被上告人だけを訊問し、上告人を取調べてないのは、裁判の公平を疑わしめ、偏頗のそしりを免れない。

二、上告人は控訴審代理人石井幸雄を解任したという。しかるに同代理人は依然上告人の代理人として訴訟活動をしている。(この解任手続が完了しているか否かは、記録が最高裁判所に来てから調査の上、補充する)

以上の点を綜合して、原判決は上告人の裁判を受ける権利を制限し、且つ人事訴訟法に違反したものであるから破棄を免れない。

第二点 原判決は著しく経験則に反し、且つ採証法則に違反するから破棄を免れない。

一、前述の通り原告の主張するところによれば、本訴は結局上告人の常軌を逸した性行為の要求にその原因があるというのである。

二、しかしながら、夫婦間におけるこの種の問題は、愛情によつて解決されるべきものである。それが一般的であつて、性交の過剰が妻をして離婚の決意をさせるというが如きことは、極めの稀有のでき事であることを、われわれは経験則として先ず十分に理解すべきである。

三、そして性交の要求が一種の愛の表現であり、その拒否が愛の否定を意味することが通常であることも、亦自然の理である。

四、被上告人に上告人以外の愛人ができたか否かはさておいても、落盤事故によつて歩行能力を失い、従つて生活能力を失つた夫をかかえ、二子を養育する責任をもたされた妻がそのようにして十年余を経過したとき、離婚をしたくなるであろうことは、経験則上十分予想し得ることである。

五、さてこのような経験則に立つて本件を見るとき

(1) 上告人が歩行不能であることは、被上告人自らこれを認めているに拘わらず「昼といわず夜といわず、被上告人を抑えつけては性交した」という被上告人の供述は明らかに虚偽である。

(2) 上告人の行動は歩行不能であつて、極度に不自由であるに拘わらず「上告人は被上告人の陰部をナメた口で接吻する」という被上告人の主張も亦虚偽であることは、直ちに判定できることである。

歩行不能の上告人はいわばダルマの如き状態であるが、行動の自由をもつ被上告人が、上告人からこのような仕うちを受けるということは、経験則上全く理解のできないことである。

(3) 被上告人は上告人が異常に性欲が発達したと主張するが、腰部以下が不髄である上告人が、果してそうであるか極めて疑問であることは、経験則上直ちに理解し得るに拘わらず、原審はこの点について、被上告人の訊問結果だけでこの主張を採用し、科学的検討は勿論、上告人の訊問すらしていない。

(4) 被上告人の腰まきから出た棉ずや笹の葉についての追及は全く行われていない。

これらの点は、上告人が生活能力のない不具者であり、生活力のある被上告人から、ともすれば離婚を迫られる立場におかれやすい点に鑑み、且つ離婚後の上告人の生活に鑑み、民法第七五二条の夫婦の協力義務に照して、原審としては慎重を期すべきであつた。

しかるに原審は、上告人本人訊問すらすることなく、被上告人の主張を容れたのである。

このような原審判決は、第一点で主張した憲法違反、人事訴訟手続法に違背するばかりでなく、著しく経験則に反し且つ採証法則に違反するものと断ぜざるを得ないのである。

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